在宅ライター歴10年を迎える主婦まち子のブログです

在宅ライターまち子の日記

会社員時代

在宅ライターになる前20代~30代までの会社員時代について話します。

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花屋さん、ラーメン屋さん、レストラン、喫茶店、居酒屋など、本当に色々なアルバイトを経験しましたが、短大卒業後、人生初の「正社員」として採用されたのが、事務員です。

でも、その仕事は4年しか続きませんでした。

 

【1、人生初の仕事は「事務員」という名のお留守番係りでした】

 

当時20代の私は、運転免許以外なんの資格もなく、ただ回りに流されるまま就職活動をしました。

そこで、運よくひっかかったのが、建設会社の事務員です。

 

でも、事務員というのは名ばかりで、私に与えられたのは事務所のお留守番役・・・。

そこは、本社を東京におく、多少名の知れた会社でしたが、私が採用されたのは地方の営業所で、社員は、わずか5名のみ。

 

しかもその5名は、朝、事務所に顔を出すだけで、終日、外へ。

そのまま直帰するものもいるため、事務所は、ほぼ私一人・・・という状況。

 

朝8時に出勤して軽く事務所の掃除をし、後は、時々かかる電話に出るのみ。

「●●さんは、外出しています。」

「●●については、●●さんに確認してください」

「今、FAX送ります」

とかそんな感じ。

 

それはもう退屈で。

なので私、仕事の間に、雑誌や小説を熟読していました・笑。

(一応、自発的ではなく、営業所長さんから進められて・・・ね)

 

それでもお給料がすごく良かったので、やめるつもりはありませんでした。

ただ、一つの事を除いては・・・

それが、毎月1回開催される「飲み会」です。

 

親睦を図るとか、取引先との交流とか、接待とか、色々と理由をつけて開催されるあの「飲み会」がとにかく嫌でした。

そこでの私の役目は、

 

・おじさん達のお酒を作る

・おじさん達の料理を注文する

・おじさん達に笑顔をふりまく

・おじさん達のセクハラにたえる

・おじさん逆にもたえる

 

・・・・何が楽しくて、毎月1回、私は、私の貴重な時間を潰されなければならないのか!!!

分かっていますよ。

社会人ならだれでも経験することだし、これも大事な仕事だという事も。

 

でも、私には、たえられなかった。

だから、私その後も、「飲み会」を仕事と割り切れず、事務員という名のお留守番係をやめました。

 

次、働く場所は、「飲み会」がないところがいいな~

なんて思ったりしたが・・・当然、無理難題でした。

 

【2、やりがいのある仕事だったのに!女社会に馴染めず・・・】

 

次なる仕事は、10年続きました。

詳しい内容は話せませんが、すごくやりがいのあるお仕事で、「これだ!」と思いましたね。

 

ざっくり言えば、問題を抱えている方を助ける?仕事です。

かなりざっくりですが、一応そんな感じ。

 

私が配属されたところは、8割が「女性」で、独身から既婚者、下は10代から上は50代まで様々な「女性」が働いていました。

そこのボスも「女性」で、わずかに存在する「男性」もなんとなく「女性」よりのタイプだったような記憶があります。

 

仕事は、とても刺激的で、上手い具合に処理できた時のあの達成感は、今でも忘れられません。

しかし、その職場には、「女性」ならではのトラブルや問題が多く。

 

例えば、女特有の“あれ!”

 

「今日のランチ、オープンしたばかりのカフェにしよう!」

「週末は仕事終わりにケーキバイキング決定ね!」

「今度の休みショッピング行くよね!」

「私も一緒にトイレ行く!!」

 

男性もこうなのだろうか?

いや違う!違うはずだ!!

 

男性は、お昼時間、自分のデスクで、自分のペースで、お弁当やおにぎり、パンを食べ、そして新聞を読みながら、のんびり過ごしている・・・

私も本当は、そんな風にお昼時間をゆっくり一人で過ごしたい!

なのに、必ず、皆でランチタイムを過ごさなければならない。

 

ようやく迎えた休日は、夫と見たい映画もあるし、行きたい場所もある。

なのになぜ休日まで、職場の同僚と過ごさなければいけないのか!!

と、まあ、こんな風に心では、常に叫んでいました。

でも心で叫ぶのみで、面と向かっては何も言えないちっぽけな私。

 

だって、職場で孤立するのは怖いから。

その他にも、「女性」がたくさん集まると、どうしても派閥みたいなものができちゃって!

 

対立する派閥メンバーの一人と、何気に話しているところを見付かると、「何話していたのよ」と問い詰められるし・・・もう面倒くさい!

仕事は好き、でも、「女性」特有のこの状況にはたえられない・・・・

ということで私、とても大好きな仕事を、大泣きの末やめました。

 

辞める前日の夜ね、夫にこう言われました。

「お前はさ、一人がいいよ!のんびり自分のペースで仕事してみたら?」って。

その頃からかな?

私が、少しずつ「自宅で出来る仕事」というモノを本気で考えるようになったのは・・・。

 

【3、父の死、夫の病気で覚悟が決まった!人生最後の“外”での仕事】

 

いきさつについて、詳しく話せませんが、私たち夫婦、なんと飲食店を経営する事に。

わずか2年でしたが、初めて、自分達の力で“稼ぐ”という貴重な経験をしました。

 

朝から、夜遅くまで、それは、休む間もなく働きました。

それでも、毎日がとても楽しかった。

だって、大好きな夫と二人だけなので、会社員の時に感じていたあの煩わしい「飲み会」「女の“あれ”」に苦悩することもなかったから。

 

しかし、それは突然でした。

最愛の父が病に伏せ、入院してわずか3日で他界。

 

そんな時でも、お店に予約を入れているお客のため、休む事ができず、病院にかけつけた時には、もう・・・。

お葬式を慌しく終え、悲しむまもなく、店を再開。

 

それからしばらくして、夫が病気になり入院。

さすがに、夫の入院では、店を開けることができず、やむなく1ヶ月ほど休業に。

 

その時は、本当に大変でした。

なぜなら、会社勤めと違い、自営業は、稼動しなければ、稼ぎが1円も発生しない。

なのに、光熱費や家賃は支払わないといけない。

 

貯金を崩し、なんとか支払いはできたものの私の脳裏にこんなことが・・・

「また今回のように夫、もしくは私が倒れてしまったら?」

 

そして、私、病院で思ったんです。

 

私一人の力で稼げる方法はないか?

夫の世話をしながらでも、出来る仕事はないか?

 

そうだ!自宅で出来る仕事なら・・・・

 

その日から、私、血眼になって「自宅で出来る仕事」をネットで検索しまくりました。

そして1週間後、ようやく1件の仕事を見つけました。

 

それが、今思えば、私の在宅ライターデビューだったと。

 

■1記事50円、1案件30記事を週1でこなす日々

 

夫の病室に、小型のノートパソコンを持ち込み、その日から在宅ライターとしての仕事を始めました。

今、考えると、おそろしく安い金額でしたが、それしか方法がありませんでした。

 

朝から面会ギリギリまで夫の病室で、仕事をし。

途中、愛犬のお散歩に行ったり、家で洗濯や掃除をしたり。

 

再び、病院に戻り、夫の世話をしながら、在宅ライターの仕事をし。

納期に間に合いそうにない日は、明け方まで、寝ずに記事作成をしたこともあります。

仕事は、楽ではありませんが、1ヶ月分、6000円というお金が、私の口座に振り込まれた時は、本当に嬉しかった。

 

何の足しにもならないけど、こんなに忙しい日々の中でも、稼げたという喜びが大きかったのを覚えています。

夫も私と同じ事を考えていたらしく。

 

二人で同じ仕事をしていると、誰かが倒れたときに大変だ。

自営業(飲食店)をしている限り、大切な人(愛犬)の最後にかけつけられないかもしれない

 

・・・と。

でも、自宅での仕事なら、だれにも、何にも左右されず、その日を私が支配できる!!

なので、私たち夫婦はその後、飲食業を離れ、夫は、WEBデザイナーとして、私は、在宅ライターとしての道を歩む事になります。

 

ただし、最初の頃の在宅ライターは、簡単ではなかった・笑。

1記事50円、1案件30記事の仕事も、クビになりして・・・

そのことについては、また別の機会に。

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